平成22年1月2日土曜日

スチュウ監督のインディーズ映画「ヴァンヴォンハンター」のクリップ映像


年が明けて皆さんが軌道に乗り忙しい毎日が始まるでしょう。私も今年色々頑張らなきゃ!って思っています。特に最近の出版不況で「売れる本」が中々でないし、デジタルのビジネスモデルも試行錯誤のまま(海賊版でやられているし)。その中で、自分の夢である映画監督とプロデューサーの仕事が挑戦中です。 初ハリウッドプロデュースの映画「プリースト」 が今年の8月20日に全米公開されるし(今後の「スチュウ通信」に紹介します)、前回の「スチュウ通信」のネタにしたインディーズで撮った長編映画「ヴァンヴォンハンター」を小規模で全米のプロモツアーとウェブ活動をこの春から始めます。

この「ヴァンヴォンハンター」という映画を撮り始めてから完成するまで2年半がかかってしまった。その間に失敗したことが多くて辛い勉強しました。次回の撮る映画は「ヴァンヴォンハンター」でやってしまったことを色々避けることができると思っています。それに「やってよかった」という点もあって、コツを身につけるのにやるしかないことが沢山あるでしょう。

有名な俳優がいなくてジャンルも曖昧でそれに初監督という弱点が多い映画です。ちょっと長過ぎると振り返って思ったり、SDのカメラを使ってしまった場面が恥ずかしかったり、「売れる映画」にもなりにくいでしょう。それに、アート映画でもないから「賞を取る映画」にもならない。だが、日本のことが好きなアニメ・マンガファンには味わってもらえるのかと期待しています。この春からファンコンベンションで上映したり、インターネットで流したり様々な実験します。映画ってやっぱり「作る」だけではなく「売る」ということを最初から計画していないといけないってはっきり分かりました。

これから「ヴァンヴォンハンター」を売ってみますが、また勉強ばっかりになるでしょうね。さて、最初のクリップ3つ(予告ではなく本編の抜粋クリップ)をアップしています。まだ正式な公開をしていないので、「スチュウ通信」で初めて発表します。日本人の感覚ではどう思われるか分かりませんが、是非ご意見を下さい!(それに、フェイスブック利用者ならファンページもここです)。

初中近東の旅!!

2009年は苦痛だったが、私にとってはかなり充実した1年間を過ごしました。「初」が付く経験が色々あって、中年の自分にとってよかったです。初カンヌ映画祭、初アフリカ旅行、初監督に続いて初中近東の旅もあった。特別に招待されて1週間ヨルダンという国のあっちこっちに案内されました。(中年だから中近東という無理のあるギャグを言わずに「夜談ではなくヨルダンだよ!」とも言わない。)。

私はこの数年間でハリウッドのプロデューサー団体である「Producer’s Guild of America」の国際委員会長をボランティアで務めていますが、その関係でヨルダン王国下における「Royal Film Commission」という映画産業推進部に他のハリウッドプロデューサー7人と招待された。ヨルダンでは本格的に映画産業開発を努力している政府と業界の人々にハリウッドからの情報ピックアップとヨルダンの潜在感の紹介が目的でVIP扱いされました。とても素敵な体験でした!

新鮮な美味しい料理(トルコやギリシャと共通)がまず嬉しい驚きでした。アフリカで苦労して食べたカレーと似ている脂っこい料理と比較して野菜が多くて、オリーブ油で軽く炒めている豆肉と酢漬けピックルズなどが豊富され、毎回の飯で幸せだった。

もちろん砂漠の国なので私のようなロサンゼルス産まれ育ちの人間には気候が馴染みやすいところです。移動は高級ヴァン、レンジロバー、それから軍用ヘリコプターを準備して頂いてまさに石油シークの気分。アカバという南の町にある紅海でジェットスキーもしました(バカンスみたいでしょ?)。でも、不思議だと思ったところがあった。それがアカバの紅海の地理感覚。例えば、東京湾でお台場と汐留と豊洲と舞浜と同じぐらいの距離でヨルダンとイズラエルとエジプトとサウジアラビアの4カ国がすぐそばで集まっている。思わずジェットスキーでエジプトまで行ってしまいそうだった!(後でちょっと叱られた)。文化もとても似ているし、特にイズラエルとアラブ系の国が簡単に戦争になってしまうのが残念。

ラクダにも乗ったし、ペトラ遺跡も見れたし、それから若いアラブ人の映画学生とスタッフに講演もしました。アフリカでもそうでしたが、一般人はとても親切で心が暖まります。例えば、ある日モスクの前で歩いている叔父さんに「写真を撮っていいですか」と聞いたところ、「わしのうちで夕飯を食べに来ないかい」と本気で誘われました。

アフリカ(前号「スチュウ通信」のガーナネタをご参照に)にも色々な意味で感動しましたが、アフリカでは感じなかったが中近東で感じた重大な様子が「歴史」だった。何千年前からここがあるという雰囲気がちゃんと出ています。貧富の差もありますが、アフリカよりある程度に開発されているところもあって、それなのになぜか古い文化と歴史の色に染めているままです。今回はヨルダンだけでしたが、また中近東の他国(レバノン、エジプト、イズラエル、トルコなど)にも行きたいです。ペルシアの国(イランやイラク)が危なすぎて行かれないことも残念です。

今回ヨルダンでマンガとゲームの仕事をやっている若手にも会って、この旅を機に中近東で仕事をしようと思っています。

写真集をアップしていますので、是非ここをクリックしてご覧下さい(ラクダも映っているし、面白いよ!)

2010年、頼むぞ!

皆様、

明けましておめでとうございます!



とうとう2010年になっちゃいました。世界中の人々の話を聞きますと、2009年が最悪の年だったという評判です。「2010年、頼むぞ!」というエールが、大晦日の夜、あちこちで花火と共に聞こえてきました。2010年て、「十年代」の最初の年です。英語で十年間の単位は「decade」(デケード)と言う。不思議だと思いますが、何故か、デケードに当てはまる日本語が見つからない。英語の「century」は「世紀」と言うし、「year」は「年」と言うけど、何故か「decade」の日本語はない。

海外ではこの「decade」という時間単位がかなり重要で社会現象や経済などが計られる物指しになっています。たとえば、60年代「Sixties」がヒッピー、70年代「Seventies」がディスコ、80年代「Eighties」がニューウエーブ、90年代「Nineties」がグランジという各 decadeの特徴はすぐに浮かんできます。終わったばっかりな00年代の特徴は恐らく「バブル時代」というふうに記録されるでしょう。

でも、2008年の後半と2009年中がずっと不景気で全世界が困っている現代ですが、今年2010年から2019年までの New Decade がどの特徴になるでしょうか?新大恐慌(言われる「Great Recession」)が続くかどうかといった疑問でこのdecadeが始まりますが、みんなの力を合わせて面白くなるように、それから各面で進歩があるように、頑張りましょう!

年賀状がもちろんエコのためにデジタル化しています。寅年の可愛いデザインとなっています(当社の主要キャラクターが目立っているよ!)。

(それに「 decade」の日本語が分かる方からでも、またはなぜ日本語にはちゃんとした翻訳がないのか説がある方からでもメールでご意見を教えて下さい!)

平成21年7月12日日曜日

スチュウの海外珍旅冒険:ガーナ


この前、何とアフリカへ行ったきた!それに、普通思うような「アフリカ旅行」と違ってサファリも動物観察もそんなような出来事が一切なしだった。目的は学校時代の友人が招待してくれたお母さんのお葬式でした。場所はガーナ国のクマシ市だった(英語でKumasi. ガーナ中部の都市でAshanti州の州都。パソコンで打つと「久万市」とか出てくるけど関係ないね)。ガーナって西アフリカの方でクマシは「アシャンティー」という原始民族の町です。アフリカって色々な面白いところがあるけど、民族(トライブ)が沢山いてそれぞれが違う言語で喋る。すると、同じ国でも話す言語が沢山あってかなり文化が混ざったりする。それから、みんながよくニュースで見るアフリカで起きる国内戦やゲリラなどの原因がその民族同士の対立である。関西と関東の極端版って感じかな?

友達の家族が歓迎してくれて民族の偉い人(チーフ)と出会ったり、伝統的な服も着せてもらったりしました。一つの家族には大勢な人がいて、兄弟でも何十人がいてもおかしくない。それに、 一夫多妻制が残っている。(それってある意味で面白そうだなと思うけど、やっぱり面倒い!)。いとこも「兄弟」と言って、友達は「いとこ」という。だから、100人以上でも一つの「家族」という考え方で「トライブ」の意識をそういうところでとても感じた。

アシャンティーのお葬式って1週間ずっと儀式やイベントが色々あって近所の全員が集まる。昼間、暑い中でずっとそとで家族が訪問者に挨拶する。挨拶の仕方がまた独特で右から左へ全員が全員に握手する。他人でも必ず握手する。恐らく1週間で1000回以上握手しました。自分一人だけが黒人以外の人種でとても目立ったけど、その珍しさをみんなが楽しんでくれた。観光客が絶対行くチャンスがない場所と出来事だったので自分も深く味わった。夜のパーティーも派手でみんなで踊った。ガーナではお葬式というのは「人生のお祝い」というニュアンスで行う。亡くなったお母さんのT−シャツも作られて「A Celebration of Life」が本人の名前と生年月日と年齢などが載っていた。

食べ物がカレーライスのような雰囲気でカレー丼みたいだった。でも、食器を使わず右手で食べる。手が汚れるけど最後までそのまま食べて(拭かないで)左手で物取りをする。終わってから手を洗って拭く。何か馴染まない習慣だったけど。

写真があるので是非みてご感想を教えて下さい。アフリカって切りがないぐらいに面白いネタがある場所なのでみんなに是非一度でもいいから行ってみてほしいなと思います。

スチュウがトライアスロン選手!?


今回の最後は大事な課題である「健康」について。日本でも米国でも健康ブームが続いている。社会が高齢化されればされるほど健康に生きていくことが大切になってきます。自分がずっと「不健康」と近い行き方をしてきたが、いつも「もっと健康的に生活したいな」と思いながら中々対策に繋がれないまま。でも、ちょうど一年前に帯状疱疹になってしまった。とても痛くて2週間ぐらい辛かった。医者に治療してもらったが、自分で「このままじゃヤバい!」と思って何とか健康道に歩んでみようかと決心しました。特に仕事ばっかりをやっているのでストレスや精神的な負担が多くてうまく解散ができない。食生活と運動の両方が大切だとよく言われるので両面で頑張ってみました。

日本だと食事は基本的にアメリカの食事より体に良くて(それに美味しい!)。でも、飲みに行ったらお酒を沢山飲んで塩っぱいおつまみが沢山出てくるでしょう。なるべく食事のバランスを取るように努力し始めた。ビタミンや野菜を多く。脂っこいものを少なく。常識ですけどね。でも、やっぱり努力しないと失敗しちゃう。

自分にとって更に難しかったのが運動。習慣がついていないと始めるのも面倒くさいし、初めてもすぐ止める。スポーツクラブに会員して最初はき張り切って運動して2週目は筋肉痛で3週目はもう止めたというパターンが多いでしょう。でも、それじゃ健康にはならないから友達に相談したらとても良いアドバイスをもらった。毎日でも簡単にできる運動が大切だと言われた。だから最初は「散歩」(「ウオーキング」かな?)から始めた。毎朝1時間散歩しました。みんなに「え!?毎日一時間!?」という反応でしょうけど、凄く忙しい毎日でも無理矢理やった。なるべく携帯電話を持って行かないでね。

3ヶ月も続いた。日本でもアメリカでも散歩だったら簡単にできた。雨が降ってもできた。最初の2ヶ月は運動した気分になっていたが、3ヶ月目は大した運動になっていない感じだった。そうしたら、ちょっとだけ走り始めた。元々「ジョギング」とか「ランニング」が嫌いな人だったから自分が走ることにハマるのがあり得ないと思ってた。それに関節も筋肉も色々な痛みがあった。でも、走れば走るほど運動する気持ちにもなっていたし、外で走っていると周りを見ながらやったら結構楽しい気分になる。1時間散歩していたけど、最初は1時間走るのが絶対無理だった。だから、30分にしました。30分があれば、5キロ弱まで走れると気がついた。

5キロ走っているのか!?と自分で気付いたら、「あれ?確かに5キロのレースとかあるよな」と思い出した。レースに入ったら楽しいのかな?とか色々考え始めた。特に目的があったら運動が続くかなと何となく分かっていた。自分らしい続け方だろうと。別に勝つとかそういうのではなく兎に角参加して最後まで終わらせることだったら結構達成感があるのかなと思った。でも、何となく走ることだけだと飽きるかも知れないと心配した。特に数ヶ月が続いたら絶対飽きる(どっちみち飽きっぽい性格だし)。じゃ、マラソンの短いバージョンが5キロや10キロのレースだったら、トライアスロンってもしかして短いバージョンがある!?気になって仕方なかった。

インターネットで調べたらやっぱりあった!!実は走るレースと比較できる4段階がちゃんとある。マラソンと比較できる一番大変な長いトライアスロンが「アイロンマン」という。これがみんなの考えるトライアスロン(自殺と近いもの)。水泳が3.8キロ、競輪が180キロ、競走がマラソンと同じく42.2キロ。すげー!!!

でも、自分だったら5キロと比較できる初段階である「スプリントトライアスロン」がちょうどいいと決めた。水泳が750メートル、競輪が20キロ、競走が5キロ。

「それだ!!」と決めました。

1月に訓練開始。レースが4月末。4ヶ月しかない!インターネットからダウンロードした計画を参考にしながら自分の調子と成果を記録して、進歩を計って向かった。途中で風邪を引いてしまって調子が悪くなったとか色々あった。レースの1週間前にガーナに行くことも決めてレースが終わった直後だったので予防注射を7本も受けなければならなかった。その結果、レースの2日前に高熱が出てしまってどうしようと思った。でも、何とかレースの朝「絶対やるぞ」と決めて現場に向かった。

結果として何とか完走(正式にいうと「完泳輪走」かな)しました!!もちろん勝っていないし、自分の時間が後半に入ってしまったけど、やっぱり達成感でした。体も健康的な気分でいられるし。運動も続いているし、またレースに参加したいと思っています。

という感じでよかったら写真をご覧下さい(恥ずかしいけどね)。

スチュウの映画監督デビュー「ヴァンヴォンハンター」(Van Von Hunter)



写真のスライドショーをご覧になる方はここをクリックして下さい

2年前にウェブ用の実写番組を当社のマンガ原作で作ろうと考えていた。3分ものを4話を制作して実験的な作品だから楽しく安く作ろう!という計画でした。当時、ウェブ番組が流行っていて広告収入源の可能性も現実的だった。(またそういう時期が来るかも知れないけど、今の不景気じゃ厳しくて厳しくて)。自分として監督経験が浅かったのでもう一人の監督をつけて(スティーブンという友人)「共同監督」の仕事を務め始めた。大バカ系の作品でグリーンバックで撮った。

そこで問題!

監督の経験が楽しすぎて遂に「長編映画にしようか」って決めてしまいました。困ったもん。インディーズなので予算がとても少ないのですが、ほとんど2年後にやっと仕上げが見えて来ました。

ドキュメンタリー風にしている映画で、中世ヒーローが現代にワープして日本のポップカルチャーにハマって現代ヒーローになるという下らなさすぎる話です。ドキュメンタリー風でもドキュメンタリーって言葉なので色々本当のことも入っている。例えば、TOKYOPOPの創立者で映画監督を目指している自分も悪役として出てしまっているし。それに自分がシナリオと監督とプロデュース(スティーブンと)などをやっているのでかなり我がままな企画になってしまったが、実は貴重な経験でした。

映画制作ってマンガ制作との相違点を沢山肌で感じた。自分にとって一番印象深い違いはチームワークが必要であること。マンガを作る時に編集者と漫画家(場合によって原作者)の少人数で何でも決めるし、制作進行も行う。その少人数でもお互いの気持ちに気を使いながら進めることもあるけど、問題があったら飲みに行けば何とか乗り越えれる(普通は)。しかし、映画だと沢山の人がいるのでみんながその気になるように応援したり手が抜かれないように押したり機嫌悪くなっている時に励ましたり作品のために数人の間がうまくいくように頑張らないといけない。それが監督の一番大切な仕事だと思います。もちろん、物語をどうやって映像として表現していく指導ですが、それより大切なのはスタッフのみんなが自分の仕事をうまくやって頂くためにコミュニケーションを上手に繋ぐ指導者が監督だと思った。どの手段でもいいけど、誤解や反発などを無くすことが大切です。とても疲れちゃう!でも、それが楽しい!人の手を合わせる力って素晴らしいから人や二人よりやっぱり何人かが手がける作品って凄いもんできますね。(我々の「ヴァンヴォンハンター」がそういう作品になっているかどうかは別として)。

ま、そんな調子でこの中年になってからですが、初映画を作っちゃいました。何とか日本でも試写会(そんな立派なもんじゃないけど)をしようと思っています。映画の撮影現場がロスとニューヨークと東京でしたが、 ロス撮影現場と東京撮影現場で撮った一部の写真見るのにリンクをクリックして下さい。映画が仕上がったら、予告編をアップしますので是非ご感想下さい!